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LED電卓|木目調シャッター電卓

70年代アメリカ製のLED電卓。
なぜか木目調シャッターが付いてます。
使わないときは閉めておくと高級インテリアにもマッチします・・ってことでしょうか?
実物はチープ感たっぷりです(´ー`)

DSCF3045.jpg

DSCF3046.jpg

DSCF3047.jpg

  1. 2006/07/01(土) 20:20:33|
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電卓修理やってみた:Panasonic JE-2002U

友人のK氏が所有するパナソニックの電卓JE-2002U



こりゃカッコエエ。

DSCF2003.jpg DSCF1969.jpg

1970年代のパナソニック製品はどれもデザインがユニークだが、
このJE-2002Uはその真骨頂とも言えるすばらしいデザイン。

DSCF2007.jpg

当時のパナソニックのデザインに対する妥協無き姿勢が
ビシビシと伝わってくる。

DSCF1957.jpg

このJE-2002UはLEDディスプレイを使用している。
1970年代のパナソニックは20種類以上の電卓を製造、販売しており、
いくつかのモデルは比較的簡単に手に入る。
しかしそれらは青緑に光るFLディスプレイを使用したモデル。
LEDディスプレイを使用しているものは非常にレアである。

ちなみにパナソニックのLED使用モデルは3つ存在し、
モデルナンバーは2001、2002、2003である。

とにかく僕にとってには生唾モノの電卓。

オーナーのK氏に最初に見せてもらったとき、
僕はこのJE-2002Uをひたすらなでまわしつつ、
ため息混じりでカッコエエなぁと呟やいていた。

その後しばらくしてK氏から連絡が。
「1のボタンが効かないんだけど治せない?」

二つ返事で引き受けて、家に帰ってご開帳。

DSCF1891.jpg

ふむふむ、バッテリーは単5タイプのニッカド。
これあんまり見かけないなぁ。

DSCF1895.jpg

キーボードとロジック基盤が丸ごとボディーから外れる。

DSCF1896.jpg DSCF1898.jpg

LEDディスプレイは3桁モジュールが3個。
これは比較的初期のタイプだ。

DSCF1897.jpg

CPUはテキサスインスツルメンツをスピンアウトした
技術者が創立したMostek社製。

DSCF1894.jpg DSCF1893.jpg

バッテリーは腐ってた。
ま、30年以上前のものだから当然。
手元に代用品が無いので交換は別の機会に
ということにして取り外した。

DSCF1904.jpg DSCF1905.jpg

1ボタン不動の原因はここ。
ロジック基板とキーボードを繋ぐケーブルが劣化して切れていた。
紫のラインでバイパス配線を追加する。

DSCF1907.jpg

無事に修理完了。
貴重な一品を復活させることができてイカッタイカッタ。
  1. 2005/08/18(木) 14:18:07|
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優しく触れて:Pulsar Touch Command Sports Model

LEDウォッチと言えば世間的にはやっぱりパルサー。
こいつがないと話しにならん!
ということで手に入れたのがこれ。

Pulsar01s.jpg

パルサースポーツモデル。1977年発売。
第5世代なのでP-5って呼ばれてるモデル。
友人から購入した。

P-5はパルサーの中でも後期のモデル。
日本でも比較的多く流通していて、いわゆるレア度は低い。
しかしP-5のデザインには初代P-1の面影があり、僕は一番好き。

Pulsar02s.jpg

Touch Commandとはプッシュボタンではなく、
ディスプレイ上下の丸いタッチセンサーに触るとLEDが点灯する機能。
下が時刻で、上は日付。

これ結構便利。
僕は右手で鞄を持つので左手首に付けたLEDウォッチのプッシュボタンを
押せないことが多い。
でもこのP5なら、左腕を上げてタッチセンサーをアゴやおでこに
チョンと触れさせれば時刻を見ることができる。
僕と同じような使い方をしているP-5オーナーは結構多いんじゃないか
と思うんだが、どうだろうか。

Pulsar02_2s.jpg

LEDディスプレイはバータイプで大きくて見やすい。
クリスタルの奥に見える回路パターンも美しい。

Pulsar03s.jpg

さすがは元祖パルサー。
全てにおいて洗練されたLEDウォッチである。
  1. 2005/08/09(火) 12:39:27|
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優雅なスーパースポーツ:LAMBORGHINI Espada 400GT

1970代に少年時代を日本で過ごした若めのオジサン達は、
みんなスーパーカーブームの洗礼を受けている。
もちろん僕も例外ではない。

まるで、最近の韓流スターが妙齢の女性達を魅了するが如く、
外国製高級スポーツカーが、ガッチリと少年達のハートを鷲掴みにした。
中でもイタリアのランボルギーニ社とフェラーリ社の車は
絶大な人気を誇った。

僕の周りでは、ラ社派とフ社派に分かれ、休み時間には教室の教壇前で
どちらがカッコいいかでしばしば熱い議論が展開されたものである。
僕はラ社派に属し、圧倒的に人気があった
ランボルギーニ・カウンタックを支持するメジャー派閥にいた。

もちろん近所にスーパーカーを所有するセレブな家などあるわけもなく、
実物を間近で見たことのある者はいなかった。
近くを通る東名高速道路を走っている小さな姿を見ただけでも
ヒーローになるのであったが。

「オレ昨日東名でカウンタックのLP500見たぜ」
「うそつけ、LP500なんて走ってるわけないだろう」
「ホントだもん。ウイング付いてたもん」
「じゃあ何色だったよ」
「え、黄色だよ。」
「ばーか。LP500は黒と赤しか無いんだよ。」
「だってホントに見たんだよ」
「こいつうそつきだよなぁ」
「うそつきー」
「ホントだもん...グス...ウワァーン...」

ヒーローになるのは容易いことではなかった。

そんな友人達の輪の中で、僕には決して口に出せない秘密があった。
実は僕が本当に好きな車はカウンタックではなかったのだ。

その車は、ランボルギーニ・エスパーダ。



マイナーである。
スーパーカー世代でも知らない人もいるかも知れない。
しかも「こりゃスーパーカーじゃないよ」と言う人もいるかも知れない。
なぜならこのエスパーダはフロントエンジン・リアドライブ。
さらに4人乗りのGTカーであり、スーパーカーの基本である
ミッドシップ、2人乗りのスポーツカーではないからだ。

でも、当時の僕としては「うちの車と同じじゃん」ってわけで、
うちの車を換えることになったら「次はエスパーダにしようよ」
って言おうと本気で思っていたのだった。

ランボルギーニ・エスパーダは1968年にデビュー。
ライバルであるフェラーリ社にもなかった完全な4人が普通に座れる
超高速4シーター・スポーツである。
ランボルギーニ社の創業者フェルッチオ・ランボルギーニ氏は
「私にとってのロールス・ロイスである」と言った。

Lamborghini-Espada02.jpg

ベルトーネのガンディーニによるボディーデザインは優雅でモダン。
4シーターしては驚異的に低い1185mmという車高だが、
リアまで真っすぐ後ろにルーフを伸ばし、ヘッドルームを確保。
リクラインしたシートに4人が快適に座ることができる。

Lamborghini-Espada01.jpg

フロントに置かれたエンジンはV12 DOHC 3929cc、
最高出力340ps/7500rpm、最大トルク40.0mkg/5500rpm
全長4740mm、全幅1860mm、重量1510kgの大柄なボディーを
250km/hまで引っ張る性能をもっていた。

Lamborghini-Espada04.jpg

インテリアは豪華。
当時のスポーツカーにありがちな無骨な印象はなく、
タン色の上質そうなレザーシートが座り心地よさそう。
中央の高い壁はデフボックスとハーフシャフトがあるため。
限られたスペースをギリギリまで有効に利用した、
よく考えられたパッケージングである。

Lamborghini-Espada06.jpg

ラッゲージスペース後方にはガラス窓をはめ込み、後方視界を
確保している。

Lamborghini-Espada03.jpg

優雅さと高性能と実用性を兼ね備えた真のスーパーカーである。

僕はホントに父親に「次はエスパーダにしようよ」と言って
本に載っていた写真を見せた記憶がある。
うちの車がランボルギーニだったら、学校では間違いなく
ヒーローになれたはずだ。

「そんなの買えるわけないだろう」

だって当時の価格は1290万円だもんね。
やっぱりスーパーカーだ。
  1. 2005/08/07(日) 19:39:37|
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ブルガリア製の電卓:ISOT elka 101

子供の頃、同じ団地の女の子がお父さんの仕事の都合で
ブルガリアに引っ越していった。

数年後、ブルガリアから帰ってきた彼女は白いワンピースを着て、
長い栗色の髪と透き通るような色白の少女に成長していた。

たぶん幼い僕は恋したと思う。

その後、彼女は私立の小学校に編入して、
僕と一度も言葉を交わすことなく、またどこかへ引っ越してしまった。

僕にとってのブルガリアはこの思い出。
ヨーグルトのように甘酸っぱい。

そのブルガリアからやって来た電卓がこれ。



ISOT社 elka 101。1970年代製。

さすがに東欧チックなデザイン。
僕の勝手なブルガリアからはほど遠い。
黒いマットな質感のキーパネルとアルミのストライプが骨太な印象。
ケースの黄色はビビットでアメリカの電卓とは違った
雰囲気を醸し出す。

P1010049.jpg

ボタンは角が取れた小さめな正方形。押し心地よし。
文字が印刷ではなく、ちゃんと彫り込んだ上で色入れされている。
LEDディスプレイ部のプラスティックカバーが個性的。

P1010028.jpg

ここにモデル名が印刷されてるのがカッコイイ。
ロゴのフォントもイイ雰囲気だ。

P1010041.jpg

遠い国ブルガリアからやってきたelka 101。
彼女と同じく無言で佇む。
教えてくれよ、彼女はいったいどこに行っちゃったの?
  1. 2005/07/31(日) 21:51:08|
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